コペルくん的読書日記

誰かと本の感想を語り合いたい寂しめなコペルくんです

現代語訳 福翁自伝(齋藤孝、2011)★★★★ー0019

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「殿様の頭でも踏んだわけでもないだろう。名前の書いてある紙を踏んだからって構うことはなさそうなものだ」とたいへん不平でした。それから子供心に考えてみて、兄さんのいうように殿様の名の書いてある紙を踏んで悪いと言えば、神様のお名前のあるお札を踏んだらどうだろうと思って、人の見ていないところでお札を踏んでみたところが何ともない。「ウム何ともない。こりゃ面白い。今度はこれを手洗いに持って行ってやってみよう」 

 本書は、慶應義塾創設者の福澤諭吉自身による「マジぶっとんだ」自伝です(現代語訳者:齋藤孝)。本書を執筆後すぐに脳溢血を起こし、3年後に亡くなられています。幼少期からの数々のエピソードを集めた本自伝は、彼の生涯をほぼ網羅されており、それを福澤諭吉自身が語ってくれます。

コメント

 ぶっとんでいる彼から生きるためのヒントをもらおうと手に取りました。マジぱねえ、ということを噂で耳にしていたので、いかにその尖り具合を自分に吸収できるかがテーマでした。おそらく彼ほどに尖っている異才を現実で見たらびっくりしてしまいますが、本を通じてだといくらか緩和されて、むしろ親しみを持って読めてしまいますので不思議です。

 

積極的に道を外れるという道

蘭学生といえば世間に悪く言われるばかりで、すでにヤケになっている。ただ昼夜苦しんで難しい原書を読んで面白がっているようなもので、実にわけのわからぬ有り様とは言いながら、一歩を進めて当時の学生の心の底を除いてみれ、おのずから楽しみがある。(略)西洋で日に日に新しくなっていく事情についての本を読むことは日本国中の誰にもできないが、自分たちの仲間に限ってこんなことができる。(略)知力思想の活発で高尚なことは王侯貴族も見下すという気位だ。ただ難しければ面白い。苦中に楽あり、苦即楽、という境遇であった

  実は私もこれに少し共感できるところがあります。といってもこれを読むまで忘れていた感覚なのですが。中学3年のときのことです。高校受験とは全く関係ない数学の範囲を何故か極めようとしていた時期がありました。それは公式を使わないパズルっぽい数学だったのですが、当時の私は厭味なガキで、中学の先生に問題を出してはそれに悩んでいる様子を見て優越感らしきものに浸っておりました(かなりうざいですね笑)。先生が解けないのは当然といえば当然で、かなりニッチなところを攻めていたからそもそも知る由もないのです。それにつけこんで(?)、優越感に浸っていた私は、だからこそ難しいと思う問題が来ると燃えていました。

 尊敬する上司の方が、競争の本質は「他と何が違うか」だ教えていただいたことがあります。もしかしてこのことかもしれない、こういう感覚なのかもしれないと感じました。ビジネス用語で言うと、ブルーオーシャンを見つける・ブルーオーシャンに飛び込むということにあたるでしょうか。他との違いをクリアにすることによってフィールドを見つけ、そこの先駆者を目指す、ということです。

 王道で勝負するのか、それとも邪道で勝負するのか。どちらも間違いではありませんし、人のタイプによっても変わると思います。しかし、この邪道を突き進むことによって、この道を王道に変えていくというスタンスが案外自分には実感値もあるので向いてそうな気がしました。周りの人の意見に流されず、自分の思ったことをやっていきたいとおもいます。 

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)