コペルくん的読書日記

誰かと本の感想を語り合いたい寂しめなコペルくんです

補稿:100kmマラソンは想像よりも過酷でした

 

  先日100kmマラソンを走ってきました。計16時間。26日AM10:00発、27日AM2:00着。自分家発、友人宅行。過酷でした。まじ過酷でした。けどやって良かったと心底思います。本記事では、今回の挑戦をしてみての感想・考えたことをつらつら書いていきたいと思います。

■概要・目次
・なぜ100kmマラソンを走ろうと思ったのか
・100kmマラソンを通じて感じたこと
 ー①準備だけではカバーできない
 ー②限界は超えられる
 ー③漫画もやっぱり捨てたもんじゃない

■本編

なぜ100kmマラソンを走ろうと思ったのか

 覚悟を決めて困難をのりこえる経験を通して「やり遂げる力」に自信を持ちたいと思ったからです。ただの思いつきでやることになったのですが、この「自信を持ちたい」という気持ちが最後まで走り抜こうと思う原動力でした。僭越ながら、今回このバランス(フットワークの軽さ・柔軟性と、それを達成しようとする根性)がいい具合になっていたんじゃないかと思っています。

 

①準備だけではカバーできない

 とはいえ、100kmは根性だけでは達成できないと考えていました。いかに失敗するリスクを下げ、達成する可能性を上げるか。要は100kmマラソンって「リスクマネージメントゲーム」なんだと思って取り組みました。

 ですので、最初はどんなリスクがあるかを調べました。私の場合最も注意すべきは「膝」でした。というのも高校サッカーを膝の故障で引退するという過去を持っているからです。手術はせずにそのまま引退という形でしたので、激しく運動するとまた痛む感じのやつです。それに膝に関するリスクを言っている記事も多かったので、そこに金と時間を結構かけました。具体的な方針としては「最適なシューズ・ロングタイツを使用する」「荷物を極力少なくする」「静的・動的ストレッチを毎日行う」「坂道は歩く」を徹底しました。これで案外50kmくらいまでは普通に走れました。

 しかし、50kmを越えたあたりから「あれ?なんかおかしい」と異変を感じはじめたのです。ひとつは左足がまっすぐに伸びなくなっていること、もうひとつは両足の足の裏にズキズキする痛みがでてきたことです。全く想定外でした。今回の挑戦をして、どんなに準備をしても想定できないリスクがある、それに対していかにカバーできるかが今後、生きていく上でかなり重要な課題だと感じました。

 今回そういう危機に陥ったとき、そこでネットでリサーチをしなかったのが今回の反省ポイントです。これはやばいと思って走るのやめて歩き始めてしまったのです。

 

②限界は超えられる

 走ることを諦めた私は途端にペースが遅くなりました。気づけば到着予想時刻がAM4:00となっていました。割と絶望していました。このときはとにかくただただ達成することだけを目的に足を運んでいました。(ちなみに67kmあたりで友人と交わしたLINEがこちらです笑)

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 ここで二つ大きな試練がやってきました。

ひとつは、友人とラーメンを食べに行く約束をしていたがそれを達成するためには2:00に目的地に着いていなくてはいけないこと(これを達成しないと友人にとって何のメリットもない、本当に介抱してもらうだけになってしまう笑)。

もうひとつは、充電用のコードをどこかで落としてきてしまい残りの充電がわずかになってしまったこと(ケータイのナビがないとたどり着けない)です。

 仕方なく70km地点から再び走ることを心に決めました。激痛でした。泣きながら走りました。なんでこんなことで苦しんでるんだろうという思いでいっぱいでした。「はちじゅうよん、はちじゅうよん、はちじゅうよん、はちじゅうよん…」と声に出して泣きながら走っているので、通りすがりの人は恐らくビビっていたと思います笑。とにかく無我夢中でした。nikeのランニングアプリでは1km毎に達成を報告してくれるので、それを耳にすることだけを目指してとにかく痛みに耐え続けました。

 すると気付けば、意外にも、走れる。走れている。痛いけど、走れている。どの道歩いてても痛いのだから、走っていた方がお得な感じさえありました。

 こう考えると、自分がいかに自身で限界の線を引いてしまっているのかが身にしみてわかりました。自分を守るためにそういう仕組みがあるのだけど、私は何の脅威から守られているのだろうかと。別に生物的には死にはしない、むしろこれが達成できなかったら社会的に死ぬ、そういう境地だったにも関わらず、それでも身体を守ろうとするこの機能はかなり邪魔な存在だと思うようになりました。

 よく最もな言い分のように「ワークライフバランス」なんて言葉が使われますが、今後社会で揉まれる際に、一回そういうのを取っ払って、とことん限界まで追い込んで自ら定期的にブレイクスルーを起こさないとやっていけないんじゃないかと思っています。たぶんいろんな人に煽られているからこう思ってしまうということもあると思いますが、成長して活躍したいのであればブレイクスルーは必須だと思っています(かなりぼんやりした言い方になってしまっていますね…)。今回のチャレンジでそのためのアクションを前より積極的に起こせるようになったのではないかと感じています。

 

③「漫画」もやっぱり捨てたもんじゃない

 やや余談になりますが、この「限界を超えよう」としているタイミングで、とある漫画の名シーンをずっと頭の中で反芻していました。それは、ONE PIECEのゾロの名言です。イーストブルー編ではじめて鷹の目のミホークとやりあった際に、心臓をナイフで貫かれそうになっても後に引かずに言ったこちらの名場面です。 

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 このシーンが何度も何度も自分の脳内で勝手に再生されて、ここで引いたら負けだ、ガンバらなきゃ、ってそう思わせてくれてました。このシーンを読んだのなんて2-3年前のはずなのに、こうして自分の中で生きていて、かつ自分に力をくれるって本当にすごいことだなと感じました。こういう仕事を将来できたらとっても幸せだなって思います。

 またさらに余談ですが、将来、自分に子どもができたら本好きな子だと嬉しいって思っていましたが、漫画大好きっ子でも全然いいかもなとって思いました笑。まあ、どっちもいい塩梅で好きになってほしいですね笑。とにかく漫画もやっぱり捨てたもんじゃないですね!

 

■さいごに

 結局、ジャスト2:00に目的地に到着することができました。足が子鹿のようになっていました。あとで写真を見たら目も死んでいました(というかクマがやばいです)。それから結局ご馳走になる形で美味しいラーメンを食べることが出来て、温泉で身体を癒しました。その友人には結局迷惑しかかけておらず、ただただ介抱してもらって本当にありがたいことでした。でもこの挑戦にこの友人を巻き込めたことが、成功要件の一つだったと振り返って思います。一人で頑張っているようでいて、実はそうでもない、そういう感じに今後いろいろな挑戦を設計していけばいいという学びを得ました(もちろん、迷惑は極力かけない方向で…笑、本当にありがとうございました(。-_-。))。

 あと、全体としては上記に書いたようなことを自分で体感できたことが今回かなりの収穫だったなと思います。「あいつはやり遂げる男だ」というブランディングの意図がなかったわけではないですが、それよりもこの「限界を超えようとする」感覚を実感値として持てたことが本当に大きかったと思います。

 友人の母にも最後「この根性は今後に活きてくるわね」と言って頂きました。めっちゃ嬉しかったです。実際、今後ある程度のストレスがきても、これと比較すればまだまだなんて感じに思えそうです。

 そしてこれがあるからこそ、偉人の話(特に書籍やセミナー等)の中で共感できる・理解できる領域が少し広がったんじゃないかと思います。例えば孫の二乗の兵法に出てくる「闘」の部分など、まだまだですが、その過酷さの一端を知った気がしました。

 今後もこういう自分にとって過酷なチャレンジをどんどん続けて、どんどん自分のことを好きになっていけたらなと思います。まあ、とはいえ、もうさすがに100kmは走らないと思いますが。笑

 長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました(。-_-。)!