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コペルくん的読書日記

誰かと本の感想を語り合いたい寂しめなコペルくんです

自分をいかして生きる(西村佳哲、2011)★★★★★ー0016

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<仕事> は <人生> と、<働き方> は <生き方> と背中合わせで、ほかの誰も肩代わりすることができない一人ひとりの生に直結している。(略)どんなに成功しているように見える人でも、人生に「上がり」はない。(略)死ぬ瞬間まで「自分をどういかして生きていくか」という課題から、誰も降りることができない。こうしてみると人間の仕事とは「死ぬまで自分を生かして生きる」ことのように思える。

  仕事と真摯に向き合う人々に支持される「働き方研究家」西村佳哲氏による、「人生観や仕事観について新しい捉え方」を提示してくれる一冊となっています。

コメント

 就活を前にして、「自分をいかして生きる」生き方を考えようと手に取りました。本書を読んで自分の今までの考えが大幅にアップデートされました。とはいえ、もともと思っていたものに言葉が与えられたような感覚でもあります。よくわかりません。笑 とにかく、読んで良かったです。以下は本書を読んでの思考メモです。

①本質的に人間は「生きている」と感じるときに喜びを見出す
②「いい仕事」は人がより「生きている」ようになることを助ける
③自分がより「生きる」ためには、自分自身と社会とをバランスさせ、常に今一番やりたいことにコミットする

 

①本質的に人間は「生きている」と感じるときに喜びを見出す

人間は「生命」と呼ばれる現象の一形態で、生命力とは「より生きる」ことを求めて発現する力を指す。

「生き生き」という言葉には「生」が二度登場する。(略)ご飯を食べて、動いて、呼吸してさえいれば生きているというわけじゃない。生きている時間の上で、さらに生きる。あるいは新しく生まれなおすような瞬間を、わたしたちはこんな言葉づかいでとらえる。

生きていて、さらにより生きている感じがするとき、自分が生きていることをあらためて思い出すような瞬間に、喜びを覚える。そんな時に喜んでいる。

 宇宙とかそういう俯瞰的な視点で見ると、人間というのはただの一生命体に過ぎません。その人類は今後も生存・繁栄していこうとします。それに必要なのは「より生きる」力なのです。だから人類にはそれを喜びとして感じるシステムが植えつけられているのだと思われます。

 ここで個人的に面白いと思ったのは、「生き生き」という表現の解釈です。もうすでに、「ただご飯を食べて、動いて、呼吸してさえいれば生きている」というだけでは、「生きている」と感じづらい時代になりつつあります。そういう時代の中でも「生きている」と実感する喜び、それを「生きる上でさらに生きること」と解釈してます。わかりやすいだけでなくなんとなく遊び心があるような気がします。だから「生き生き」という言葉には多分に喜びや輝きのニュアンスが含まれていて、いわゆる生きがいとかやりがいとかそういう類のことを表現できるのですね。

 つまり、まとめますと、今後「生」を充実させる(生きがいを感じる)ためには、ただ生きるだけでなく、その上でさらにどうにかして「生きる」必要がある、ということです。まずはそういう前提に立って、「いい仕事」とは何かということを考えていきたいと思います。

 

②「いい仕事」は人がより「生きている」ようになることを助けるf:id:hamanao:20151103024218p:plain

 この図は「仕事」のことを表しています。通常、私たちの目に触れるのは海面から出た島の部分です。しかし私たちはその海面上の島を見たとき、その島だけでなくその山全体をも感じ取っています。例えばメイキングフィルムを見たあとだと、その映画により愛着が湧いてしまうのは、この山をより鮮明に感じ取ることができているからです。逆に、サービスとしてはたしかにいいけれど、どこか機械的でマニュアル的な店員の応対は、この山の下の方が抜けていて、そこにその人が「いる」のに「いない」という空しさを感じさせます。このように仕事は表面的な成果だけでなく、どのように生きる人が、どのような思いで、どのようにして作り上げたのか、という山全体をみて感じて、その良し悪し・好き嫌いを判断しようとしています。

 しかし、そうとは知らずにとにかく「技術・知識」といったところにのみ執心する人がいます。私は完全にそうでした。要求されている成果物を最高の能率でガシガシこなしていく、そういう人物を目指していたときがあります。そこばかりに目を向けて仕事をしていました。けれど、筆者も言っていますが、こうした人間から生み出される成果物は表面的で深みがなくどうもシラけてしまいます。これでは誰も喜んでくれないので、せっかく頑張って仕事をする意味がありません。

 またよくよく考えると、私が本当にかっこいいと思っていた人たちのポイントって、その最高の能率でガシガシやる仕事力ではないことに気がつきました。むしろ、その技術や知識の下にある「考え方・価値観」や「ありかた・存在」をかっこいいと思っていたのです(これに似たようなことを以前の記事ー0006でも触れました)。

語っている内容や、なにをしているかということより、どんなふうにそれを語り、どうやっているかという部分に、その人の <存在> があらわれる。

 話す内容は同じなのに人によって伝わり方が全然違う、ということを以前考えたことがありました(前記事ー0005)。しかし、ただ脳みそを通すだけでなく、その言葉は「自分」を通して出てきているのか、この伝わり方の違いは「存在・あり方」みたいなところが原因だったのか、と気付き、やや考えをアップデートしました。尊敬する上司や人物のように、私も「いい仕事」をやっていけるよう励みたいと思います

 

③自分がより「生きる」ためには、自分自身と社会とをバランスさせ、常に今一番やりたいことにコミットする

 では、どのようにすれば、自分も他人(社会)も生き生きさせるような「いい仕事」ができるのか。答えはシンプルです。自分自身と社会とをバランスさせ、常に今一番やりたいことにコミットすることです。

お客さんでいられないこと、それだけではおさまらないようなことの足元に、一人ひとりの <自分の仕事> の鉱脈があるんじゃないかと書いた。(略)それは思考というより、存在から湧き上がってくる動きだ。そしてそれが、成果に至るひとつながりの働きとして他者や社会に差し出される時、その人ならではの、掛け替えのない <自分の仕事> になるんじゃないか

 「好きなことを仕事に」っていうけど、仕事にするならお客さんの立場では、どうもざわざわして落ち着かないくらいの感覚でないとだめだよね、それを突き詰めて成果として社会に出す、これが自分の仕事をするということではないか、ということです。ですので、まずはお客さんではいられないことを探すために内省をする必要がありそうです。

「センスがいい」というのは文字通り感受性が良好であるということだが、その力がまず最初に向けられる先は、外部ではなく、なにより自分の内面だ。

 筆者は、「自分自身」と「社会」との間に「自分」がいて、「自分」はその二つを上手く折り合いをつける役割を演じるべきだと言っています。現代の、溢れるほどの情報や仕事(ノルマ)に追われて日々に忙殺している人たちは、つい「自分自身」の声をシャットアウトしがちです。だから、まずその声を拾うために一人の時間を持った方がいいとのことです。バックパックもそうだし、ヨガや瞑想、自然と戯れるなどが流行っているのも案外理にかなってはいますね。そこから両者をバランスさせようとします。方向性としては「自分自身」の方から考え始めて、それを「社会」の方にいかに適合させていくかを考えていくイメージでしょうか。

やりたいことが見つからないとか、何をやってもうまくいかないとか、面白くないということがあっても、どの瞬間でも、その中で一番やりたいことは多分ある。「いまどうしたいか」、ということ。それをやってゆくと何か見つかってくるんじゃないかって。(略)「いま、この」っていう時に、一番やりたいことを選択すると、次の瞬間に、また次の時点でやりたいことが出てくるわけだから。

 社会を「生き生き」させ、さらに自分が「生きている」ためには、自分自身と社会とをバランスさせ、常に今一番やりたいことにコミットすること、結局これしかなさそうです。考え方や捉え方は多様でも結局いつもここにたどり着きます。こうやって目の前の一番にコミットをし続けることによって、どんどんステージが上がっていく、もしくはハッキリしてくる。これが本質なんでしょうね。目の前のことを頑張り続けようと思います。

 

自分をいかして生きる (ちくま文庫)

自分をいかして生きる (ちくま文庫)