コペルくん的読書日記

誰かと本の感想を語り合いたい寂しめなコペルくんです

人間失格(太宰治、1989)★★★★★ー0014

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人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

 太宰治氏による、人間不信の男(葉蔵)が狼狽していく様をありありと描いた「人間の醜さを映し出す鏡」のような一冊です。精神的に健康で生きてきた方が読むとぞっとするような内容です。ちなみにこの場合の鏡は主人公の男のことです。そしてここでの「醜さ」は、もちろん主人公自身もそうなのだけれど、その眼に映る周りの人間たちが持っている「醜さ」のことです。

コメント

 「人間への理解」をとにかく深めたいと思い、本書を手に取りました。今回はあえて「友情」をピックアップして考えたいと思います。実際、これよりも重くて衝撃的なトピックがあるのですが、どうも今一番アンテナに引っかかるのはこれらしいです。というのも、最近はずっとそのようなことばかり考えてしまっていたからです。私事で恐縮ですが、ここ最近までずっと家に引きこもっていて、葉蔵のように本を読んだり絵を描いたりしていました。私の場合、人間関係から逃れようとそこにたどり着いたわけではなかったので、逆に孤独の寂しさ、友人のありがたさのようなものを大いに感じておりました。一方で、友人との関わり合いの中でそれなりに傷つくこともあったりして、自分なりに「友情」ということについて考えを巡らせていた矢先、本書に出会ったのです。以下では今回の気付きを含め、「友情とは何か、結局どういう行動をとれば良いか」について考えます。正直、希望と絶望が半々という感じです。

 

理想的な友情を獲得するには、つまるところ「情けは人のためならず」を実演しなくてはならない

堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼に角を立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。

「生意気言うな。おれはまだお前のように、縄目の恥辱など受けたことが無えんだ。」ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂わば「生ける屍」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ。

 主人公葉蔵は、とにかく人間不信、つねに恐怖を抱いて人に接し、人に嫌われることを極度に恐れています。葉蔵の6つ程年上の堀木とは、お互いに見下しあってはいるが、気が楽なのでつるんでいるというだけの仲です。

 なんだか私はこの引用したくだりを読むと胸が詰まるような思いがしました。このように表面上は仲良くしていても、裏では何を思っているかわからない、そういう懐疑心には心当たりがあります。最近自分も含めてですがどうも「友情」というものが偽善めいている気がして仕様がありません。ビジネス的につながっているような気がしてしまうのです。尺度が「損得」なのです。上でもお話ししたように、私は引きこもって絵を描いている時期がありました。これを友人に話すと、中には顔を曇らせる人もいます。たぶん心配とかそういう類いによる翳りではないと勝手に感じました。どういうわけか、その人からして僕と関わっていくことの価値が下がったという判断だったのでしょうか。それから見限られたように感じた僕はヒトに対してやや懐疑的になり、憂鬱な気持ちに支配されそうで大変でした。

 「友情」という言葉を辞書で引いてみると、「友人の間の情愛」とあります。「情愛」とは、「なさけ。いつくしみ。愛情」とあります。つまり、「友情」とは「無条件に友人相手に対し思いやりをむける愛情」と言い換えることができます。

 ここで、やっと気付いたのです、私は「友情」ということに対して受け身だったことに。見限れて懐疑的になったなんてまさにすぎて、恥ずかしいやらイライラするやらよくわからない感情です笑 原点回帰もいいところですが、要は「情けは人のためならず」というやつです。結局、友達のために何をしてあげれば良いかのみを考えようとすることしか打ち手がないように思えます。

 残念ながら人間の本質は、交友関係をも「損得」でジャッジするでしょう。これは多くの場合事実だと思います。だからこそ、自分は積極的に無条件に相手に対し思いやりをむけるべきだと考えるようになりました。そうしてそこから、表面上の利害を超えた人格ベースで相手に「得」を与えらえるようになること(この段が、坂本竜馬の人たらしレベルなのではないか)。そうすることでしか、私が美しいと思う理想の「交友関係」は実現しないように思えます。なんだか当たり前すぎてびっくりですが、だからこそ本質なのかも、という謎のロジックによる安心感と納得感が個人的にはあります。。笑

 

読後感、感想のあれこれ

 正直すごいものを読んでしまった、というのが、読了直後の感想です。今まで私は、いかに人間を表面だけでさらっと見ていたのか。なるほど、道理で他の人から見たら私はバカに見えるわけです。人間音痴であるということを、激しく責め立てられているような感覚を憶え、でもひたすらにページを捲っておりました。

 竜馬の「人たらし」のくだりを考えて意図的に人間理解につながる読書をと思った矢先、早速良書に出会えたと思ってます、少なからず私にとって。こういう本と出会うことで自覚が生まれる、これは感情に名前がつく、というやつなんでしょうか。いや、なんだかもやもやしていて、もはや意識にすら上がってこなかったものたちを意識上に引っ張り上げることになってしまった、という方が正確な気がします。とにかく、今までよりも気付けるようになれた気がします。それは喜ばしくもあり悲しくもあり、さらには滑稽ですらある、そんな一概には言えないような複雑な感懐ですが、とはいえ、とにかく読んでよかった。ピースの又吉が太宰治が好きな感じ、少しわかりました。たしかにオーラが滲みでていますね。笑

 

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)