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コペルくん的読書日記

誰かと本の感想を語り合いたい寂しめなコペルくんです

竜馬がゆく(一)(司馬遼太郎、1998)★★★★★ー0005

 

「眼の前に、とほうもなく大きな黒猪がいるんじゃ(略)いつも眼に浮かぶ。黒猪はいつもわしから逃げちょる。逃げながら、おいでおいで、しちょる。追おうと思っても、足がねばって動かん。黒猪は嘲って、竜馬ン馬鹿ァ、ちゅいよる」

「胸中そんな黒猪がいるのか」
(略)「野望というものだ」
「ははあ、野望のことか。そういうことなら、私にもある。剣を磨くことがそれじゃないか」
「剣だけではつまらん(略)それとはちがうのだ、わしの黒猪は」
「どう違う?」
「自分にも解せん。(略)その黒猪が何者であるか、わしには正体がまだわからん。わかるまでは、とりあえず夢中に剣を磨いてゆくつもりだ」

 『坂の上の雲』や『燃えよ剣』など数々の名作をこの世に生み出してきた、大作家司馬遼太郎氏による「坂本竜馬のその生涯を描く青春群青」です。この作品は全八巻構成で、本書はそのうちの第一巻となります。幕末の奇蹟といわれた風雲児坂本竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描いています。

コメント

 「かっこよく生きるためにはどうすればいい?」という思いから、まずかっこいい人を探そうと思い本書にたどり着きました。ですので、以下かっこよくてテンションが上がってしまった場面を厳選して引用していきたいと思います。

①自分の「好き」に命を賭けられるか
②事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ
③自分の背中でものごとを語れるか

 

①自分の「好き」に命を賭けられるか

「坂本さまは、ただの見物をするだけで切腹をお賭けになるのでございますか」
「あたりまえです。わしは船が好きだから好きなものを見にゆくのに命を賭けても良い」

 黒船がやってきたときのシーンです。黙って抜け出して黒船を見に行こうとしているのですが、それは切腹に値する行為なのです。それでも竜馬はゆくのです。私もこういう覚悟を持って生きてゆきたい。少なくとも今、自分には「死」がリスクとして挙がる決断はほとんどないはずです。そう考えると今よりはもう少し勇気を持って行動に移す事ができそうです。
 ちなみに余談ですが、この文脈では少女漫画を読んでいるときのような、いわゆる「胸キュン」な要素も入っています。それを楽しみに読むのも良いかもしれません。笑

 

②事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ

自分の腹のなかでちゃんと温もりのできた言葉だからで、その言葉一つ一つが確信の入った重みがある。(略)この男の口から出ると言葉の一つ一つに(略)不思議な魅力がある(略)こういうのを人物というのかもしれない。おなじ内容の言葉を喋っても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ。

 これを読んで感じたポイントは二つです。ひとつは、「たとえ実績があったとしても、きちんとそれを自分の言葉で考えられていないようでは、そのオーラのような魅力は滲み出てこないのではないか」ということ。もう一つは、「だからこそ相手に意図的に自分の魅力を伝えたいとき、わざわざ自分の実績を自慢(提示)する必要もないのではないか」ということです。
 なぜかわからないけどその人がいう事には重みがある、それは言い方とかそういう上辺のテクニックとかではない気がする、でもどうも自分の中にすっと入ってきやすい、そういう感覚は実感としてかなり納得ができます。しかし私はその原因は「その人がことをなしてきたから」だと考えていました。少なからず何かしらの行動や実績自体がその発言に重みを与えているのだろうと。しかしこれはいささか表面的すぎました。実のポイントは「自分の腹のなかでちゃんと温もりのできた言葉」ではないかと思うようになったのです。つまりいかに「その体験から自分で考える」ことができるかということだと思うのです。それが出来て初めてその魅力が自分のオーラとなって滲み出てしまうものなのではないでしょうか。とはいえ、やはり、それを可能にするには何かしらの行動や実績等が必要になるわけなので、今後も鍛錬と挑戦が欠かせないのですが。笑


③自分の背中でものごとを語れるか

「学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。詩もおもしろいが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。男子たる者は、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類のない大詩篇ではないか」

 これは吉田松陰桂小五郎にいった教えです。松陰は小五郎に対して、ただこれだけのことを教えたに過ぎながったのですが、この言葉が小五郎の一生を決定してしまったと言われています。
 インプットはアウトプットのためにあるとはよく言われますが、ではそのアウトプットはなんのために行われるのでしょうか。それはこの世に提供する価値を創り出すためです。ではそれをなぜ行うべきなのか。今までのこの問いの答えとしては、「それが人として正しい道だから」「利他の行いこそ自分がもっとも幸福を味わえる手法だから」などでした。なんとなく理解したようなしていないような、どうも人生経験の乏しい私には腑に落ちない部分が少なからずありました。そして今回新たに提示された答えが「自分の人生を一つのかっこいい物語として完結させるため」です。これなら自分には納得感があります。自分の子どもや孫に、ひとつの英雄譚として自分の人生を受け取ってほしい。それが僕がかっこよく生きたいと思うモチベーションになります。そういう視点を得られたのはよかったです。(…純粋な日記もつけてみようかなと少し考えてます…笑)

 

 

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)